【RK独立党乗っ取り計画】 2.リチャード言説のはじまり①ユダヤ人600万人殺害は本当か?
http://h09.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/rk-2-7d2f.html
前回の記事で「ユダヤ人600万人殺害は本当か?」というテーマを取り上げました。
そして最後にこう書きました。
ポイントはただ一点。
wikiにも出てくる「通説によれば、ドイツによるホロコーストによって殺害されたユダヤ人は600万人以上とされている」という箇所です。
これがもし嘘であったとしたら、それはいったい誰が何のためについた嘘なのでしょうか?
ホロコーストの真実やユダヤ人迫害の歴史などについては、深く考察・検証することはもちろん必要です。その点を蔑にしていいというわけではありません。
紹介した「ホロコースト懐疑論」もその一つですし、反対意見も含めて多くの考察がなされています。(ただしヨーロッパにおいて懐疑論は「反ユダヤ主義」とみなされて逮捕・弾圧といったことがあります)
私が「通説によれば、ドイツによるホロコーストによって殺害されたユダヤ人は600万人以上とされている」という一点を強調するのには理由があります。
数十年以上も経過した歴史の事実というのは、究明というより「解釈の論争」に終始せざるを得ません。現実として当時を知る人たちは減りますし、新たな証拠というのも出にくくなります。また科学的な手法が開発されても当時の完全な再現は不可能ですから、ある面で仕方が無いことです。
しかし究明の手法というのは証人や物的証拠などを探すだけではなく別のアプローチが可能です。それはその後の歴史との因果関係について考察をすることです。
第二次世界大戦後、世界中で「ホロコーストによってユダヤ人600万人が殺された」というのは事実として語られてきました。
その結果、その後の世界史はどうなったでしょうか?
■ユダヤ人国家イスラエルの建国
これは非常にはっきりとしています。ユダヤ人国家「イスラエル」が建国されたということです。
第二次世界大戦後、世界ではユダヤ人の「シオニズム運動」が急速に強まりました。シオニズム運動とは、神によって約束された土地(エルサレム)にユダヤ国家を再建するための運動です。
終戦当時パレスチナにはアラブ人が約130万人、ユダヤ人が約70万人が住んでいました。
(この地域の歴史とトラブル(事件)は長い長いものがありますが、ここでは省きます)
当時この地域を統治していたイギリスは、パレスチナ単独支配(ユダヤ人排除)の方針をとっており、ヨーロッパからのユダヤ人難民の受け入れを拒否します。またシオニズム運動もあって1946年~1948年には凶暴化したユダヤ側のテロ事件が続発しました。
※テロというとアラブの専売特許のように思う方もいらっしゃるかもしれませんが、この時代のテロとはほぼユダヤ人による行為でした。
※アラブ側のテロもありましたが、それはユダヤ側のテロに対する報復として行われました。
■キング・デイビッド・ホテル爆破事件
1946年6月、イギリス軍は政治組織ユダヤ機関の本拠地とパレスチナ中のユダヤ人入植地25ヵ所の一斉捜査をします。動員数は兵士8万人、警察官2万人で、ユダヤ地下武装組織(延べ2千718人)が逮捕され、留置場に送られました。
これに対する報復措置として、ユダヤ側は1946年7月にキング・デイビッド・ホテル内のイギリス軍司令部を爆破します。この事件ではイギリスの政府高官をはじめ、ユダヤ人やアラブの重要人物が死亡しました。
首謀者は「イルグン」というユダヤ組織で、組織を率いていたメナヘム・ベギンという人物は後にイスラエルの首相(1977年)になっています。
この事件をきっかけにイギリス側が弱腰となっていき、解決策を国連に委ね、後の国連「パレスチナ分割決議」につながります。パレスチナ分割決議とは、パレスチナの56.5%の土地をユダヤ国家、43.5%の土地をアラブ国家とし、エルサレムを国際管理とするという国連決議181号のことです。
パレスチナ問題(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A%E5%95%8F%E9%A1%8C
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後にイスラエル首相となるベギン率いるイルグン、シャミル率いるレヒ等のユダヤ人テロ組織のテロと、アメリカの圧力に屈したイギリスは遂に国際連合にこの問題の仲介を委ねた。
ユダヤ人の人口はパレスチナ人口の3分の1に過ぎなかったが、1947年11月29日の国連総会では、パレスチナの56.5%の土地をユダヤ国家、43.5%の土地をアラブ国家とし、
エルサレムを国際管理とするという国連決議181号パレスチナ分割決議が、賛成33・反対13・棄権10で可決された。
この決議は、国内の選挙において、ユダヤ人の投票獲得を目当てにしたアメリカ大統領トルーマンの強烈な圧力によって成立している。
アメリカ、ソ連、フランス、ブラジルなどが賛成し、アラブ諸国が反対した。(イギリスは棄権)イスラエル建国を宣言するベン=グリオン、壁の肖像は「シオニズムの父」テオドール・ヘルツル1948年2月アラブ連盟加盟国は、カイロでイスラエル建国の阻止を決議した。アラブ人によるテロが激化する中、1948年3月アメリカは国連で分割案の支持を撤回し、
パレスチナの国連信託統治の提案をした。1948年4月9日、ユダヤ人テロ組織、イルグン、レヒの混成軍が、
エルサレム近郊のデイル・ヤシーン村で村民の大量虐殺を行い、その話が広まって、恐怖に駆られたパレスチナアラブ人の大量脱出が始まった。
1948年5月イギリスのパレスチナ委任統治が終了し、国連決議181号(通称パレスチナ分割決議)を根拠に、1948年5月14日に独立宣言しイスラエルが誕生した。同時にアラブ連盟5カ国(エジプト・トランスヨルダン・シリア・レバノン・イラク)の大部隊が独立阻止を
目指してパレスチナに進攻し、第一次中東戦争(イスラエル独立戦争、パレスチナ戦争)が起こった。
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■デイル・ヤシーン事件
ユダヤ側は更なる事件(テロ・虐殺行為)を起こします。
デイル・ヤシーン事件(1948・4・9) アラブVSユダヤ
http://www.youtube.com/watch?v=rFQMmvvu2Hw
ユダヤ・イスラエル側は「Dプラン」と称するパレスチナ占領計画を企てます。エルサレム街道沿いのカステルをはじめとするパレスチナ人村落の根こそぎ破壊を目的とした「ナチション作戦」も計画の一部です。
メナヘム・ベギン率いる「イルグン」とイツハック・シャミル率いる「シュテルン」の両ユダヤ人テロ組織が、中立を表明していたデイル・ヤシーン村を総攻撃し、無抵抗の254人の男女、子供までが無差別に虐殺しました。
(デイル・ヤシーン村は現在イスラエル領になり、虐殺された犠牲者の土地や財産は、ユダヤ人のものとなっています)
中立の村でさえこんな目に合うと知った他の村々のパレスチナ人たちは、ユダヤ移民の凶暴さにパニックに陥リ、それをイスラエル側がさらに煽りたてることによって、大量のアラブ人が家と土地を棄てて逃げだします。この時から大量のパレスチナ難民が発生したのです。
この虐殺事件を指揮したメナヘム・ベギンは「もしデイル・ヤシンの勝利がなければ、イスラエルの国は生まれなかっただろう」と後に語っています。
パレスチナでのユダヤ人によるテロや残虐行為の歴史は、ホロコーストでユダヤ人が大量虐殺された話に比べて、圧倒的に語られる機会が少ないのです。その結果「ユダヤ人=迫害の被害者」というイメージだけが人々に刷り込まれ(洗脳)、常に被害者としての立場としてユダヤは語られるようになったのです。
■イスラエル建国
1948年、ユダヤ側・アラブ側ともにテロ合戦が激化する中、ついに5月14日にイスラエルが建国宣言をします。初代主張はベングリオン。
しかし平和的解決ではなかったこともあり、このまま第一次中東戦争が始まります。
■世論を誘導した「ホロコースト」
パレスチナ問題というのは、簡単にいえばユダヤ人がアラブ人(パレスチナ)から土地と富を奪い、武力(テロと虐殺)によって国家を樹立したことです。
一方的にとまでは言いませんが、かなりの割合でユダヤ人の行為に問題があるのです。
ところが当時の世論は「仕方がない」というものでした。
ユダヤ人が自分たちの国家樹立を目指すことについて、過去における迫害の歴史からすれば「仕方がない」「心情や主張は理解できる」「ユダヤ国家をつくらなければユダヤ人が安心して住めない」というものが世界を支配していました。
なぜかといえば「ホロコーストで600万人が犠牲になった」という話が事実として語られていたため、その免罪符として「イスラエル建国はやむを得ない」と世界中が思ったからです。
はっきりと言えば「ホロコーストで600万人が犠牲になった」という話が無ければ、ユダヤのテロ・虐殺行為によるイスラエル建国は世界から承認されることは無かったはずです。そしてユダヤ人によるパレスチナでのテロ・虐殺行為は世界中の非難の的となったはずです。
■ホロコースト=ユダヤによるイスラエル建国のための嘘
イスラエル建国が認められたかどうか・・・これは戦後の歴史において最も重要なことです。
世界大戦では世界中の地域で犠牲者が出ました。また同時に加害者も生みました。これは明確に分けることはできません。日本も多数の犠牲者がでましたが、同時に殺害行為も行いました。
その中でユダヤ人だけが「絶対的被害者」として扱われ、その後のテロ・虐殺行為の正当化~イスラエル建国という益を得ることについて疑問がないでしょうか?
そしてもし「ホロコーストで600万人が犠牲になった」という話が嘘だったとしたら、当然ながら受益者であるユダヤ人がついたものであると考えられないでしょうか。理由はもちろんイスラエル建国のためです。
●600万人虐殺という説に疑わしい面がある
●ユダヤ人が行ったテロ・虐殺によるイスラエル建国が世界で認められた経緯と深い関係がある
この2点から「ホロコースト=ユダヤによるイスラエル建国のための嘘だったのではないか」という仮説が始まります。
この仮説に即して日本や世界の歴史を見直すと、今まで気がつかなかった(隠された)新たな面が見えてくる。
それがリチャード言説のはじまりです。
(続く)
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