【再掲】RK独立党仙台講演会記念⑥<オカルトも、左翼も、右翼も>
前記事からの続きです。
顧問:山下弘道
第一回大阪ファスティングマイスター認定研修(中武賢臣のオフィシャルブログより)
http://ameblo.jp/nakatake-com/entry-10706783536.html
山下医院
http://www.dr-yamashita.co.jp/index.html
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◆院長プロフィール
山下弘道
昭和28年8月生まれ
福岡県大牟田市出身
昭和53年大阪医科大学卒業、同年医師免許取得
大阪医科大学付属病院一般消化器外科、同放射線科、その他関連病院を経て、現在山下医院院長として勤務。
平成元年7月1日山下医院開設(創設)
著作
「遥かなる大地 ムーからの予言」
「大地からの最終警告」
(ともに、たま出版)
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とても医師の著作とは思えない2冊です(笑)
※たま出版とはオカルト専門出版社です
たま出版
http://www.tamabook.com/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%BE%E5%87%BA%E7%89%88
韮澤潤一郎(たま出版社長)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%AE%E6%BE%A4%E6%BD%A4%E4%B8%80%E9%83%8E
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韮澤 潤一郎(にらさわ じゅんいちろう、1945年1月9日 - )は日本の実業家で、たま出版社長・編集長である。
自称UFO、超常現象研究家。量子力学、意識の問題を研究しているとも述べている。
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山下氏はサプリメントを積極的にすすめる医師で、HPで解説をしたのち、販売店まで紹介しています。
健康関連情報
http://www.dr-yamashita.co.jp/kenko.html
自然食品店のご紹介
http://www.dr-yamashita.co.jp/shop_main.html
ここで全国店として「らでぃっしゅぼーや」と「MOA」を推奨しています。
らでぃっしゅぼーや
http://www.radishbo-ya.co.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%89%E3%81%A7%E3%81%83%E3%81%A3%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%BC%E3%83%BC%E3%82%84
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らでぃっしゅぼーや株式会社(Radishbo-ya Co., Ltd.)は、有機・低農薬野菜、無添加食品などの販売を手掛ける企業である。NTTドコモのグループ企業。
「日本リサイクル運動市民の会」が行っていた有機・低農薬野菜の宅配事業である「らでぃっしゅぼーや」をそもそもの原点であり、「らでぃっしゅぼーや」を専門に行う企業として1988年(昭和63年)5月に設立された環ネットワーク株式会社がその前身となる。
その後、2000年(平成12年)1月にキューサイの傘下に入り、(旧)らでぃっしゅぼーや株式会社へと商号を変更。2006年(平成18年)3月、キューサイおよびキューサイの創業者一族が保有していた(旧)らでぃっしゅぼーや株式をジャフコが買収し、2006年(平成18年)9月にジャフコが受け皿会社として用意していたジャフコ・らでぃっしゅMBO(1993年(平成5年)5月設立、設立時の法人商号は有限会社メロンエアクラフト)を存続会社として合併、現在の(新)らでぃっしゅぼーや株式会社が発足している。また、2008年(平成20年)12月にJASDAQ市場へ上場したが、ドコモによる完全子会社化に伴い2012年(平成24年)7月27日をもって上場を廃止した。
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wikiには書かれていませんが、らでぃっしゅぼーやは「大地を守る会」がかかわっており、同社の沿革にも書かれています。
大地を守る会
http://www.daichi.or.jp/
http://www.daichi.or.jp/corporate/info/outline/history/
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1987年12月 (株)大地物産と日本リサイクル運動市民の会が提携して、「らでぃっしゅぼーや」がスタート。
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大地を守る会の現会長は藤田和芳氏。
藤田和芳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%92%8C%E8%8A%B3
さて、この大地を守る会の沿革の最初にこんな記述があります。
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1975年8月 「大地を守る市民の会」設立。「農薬公害の完全追放と安全な農畜産物の安定供給」をめざして運動を開始。
1976年3月 会の名称を「大地を守る会」と変更。会則制定。理事会設置。会長に藤本敏夫を選出。
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最初は「市民の」がついていました。
カンのいい方はお気づきですね。
そう、左翼活動で「市民」を語ったでっち上げ組織によく使われるフレーズです。
そして大地を守る会の初代会長である藤本敏夫氏とは・・・
藤本敏夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9C%AC%E6%95%8F%E5%A4%AB
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藤本 敏夫 (ふじもと としお、1944年1月23日 - 2002年7月31日)は、兵庫県西宮市甲子園生まれの学生運動指導者。
有機農法実践家、大地を守る会初代会長、兵庫県立鳴尾高等学校卒業、同志社大学文学部新聞学科中退。
千葉県にある鴨川自然王国設立者。
妻は歌手の加藤登紀子。また、娘も歌手のYae。
(中略)
1992年 - 参議院選挙比例区に、環境政党「希望」を結党し立候補するが、落選。
「希望」はみどりといのちのネットワーク、原発いらない人びと、ちきゅうクラブを糾合した組織。
選挙後、野村秋介らとともに、少数派・諸派の立候補者を排除するマスコミの選挙報道を公職選挙法違反として刑事告訴した。民事裁判も起こしたがいずれも認められなかった。
(後略)
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はいきました、参議院選挙・・・環境政党「希望」
希望 (政党)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%8C%E6%9C%9B_(%E6%94%BF%E5%85%9A)
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1992年、元反帝全学連委員長・藤本敏夫を代表に擁して結成された環境政党。
前身はみどりといのちのネットワーク、ちきゅうクラブ、原発いらない人びと。
同年7月の第16回参議院議員通常選挙比例区に、藤本敏夫をはじめ9名の候補者を立てたが全員落選。
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環境政党「希望」とはつまり、緑系の左翼政党です。
緑の党
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%91%E3%81%AE%E5%85%9A
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1983年、河西善治が西ドイツ(当時)緑の党をモデルとした「東京緑派」(DIE GRUENEN) を結成し、参院選に東京選挙区より出馬した。河西は、人智学(シュタイナー思想)の研究家であり、西ドイツ緑の党がミヒャエル・エンデなど多くの人智学者によってできた経緯から、緑の党の思想を日本に広めることに注力していた。比例区ではMPD・平和と民主運動への投票を呼び掛けた。また、重松九州男の日本世直し党も「日本版緑の党」を名乗っていた。
1986年、元第四インターナショナル活動家太田竜らが「日本みどりの党」を結成。太田はその後「みどりの党」離党、「日本みどりの連合」結党を経て、「みどりといのちのネットワーク」への再統合を行った。「みどりといのちのネットワーク」は大石武一の推薦を受けた。同年、水の浄化を主な政策とする環境党が結成される。
1989年、山本コウタロー、北沢杏子、門野晴子、円より子、田嶋陽子らを中心に環境保護とフェミニズムを掲げる「ちきゅうクラブ」が、また、作家の今野敏や元三重大学教員の坂下栄、反原発運動・環境保護運動の活動家らを中心に「原発いらない人びと」が結成された。第四インターナショナル系や共産主義労働者党(後の自治・連帯・エコロジーをめざす政治グループ・蒼生)など一部の新左翼勢力は「原発いらない人びと」を支援した。この年の参議院選挙では、3派の統合を試みるも、名簿順序をめぐって折り合いがつかず、分裂選挙に。結果3派合わせて60万票を獲得するも議席の獲得はならなかった。
1992年の参院選では、「みどりといのちのネットワーク」「ちきゅうクラブ」「原発いらない人びと」を統合した環境政党「希望」(代表は藤本敏夫)が立候補した。
1995年、農業問題を中心とするみどりといのちの市民・農民連合と、平和・市民から路線対立で分裂した憲法みどり農の連帯結成される。
その後、地方政治においては市民運動出身の無所属地方議員の連絡組織「虹と緑の500人リスト運動」、新潟県の地域政党「緑・にいがた」(旧「市民新党にいがた」)などが結成される。
1998年頃より保守リベラル政党であった新党さきがけが環境政党として再出発を表明。後に代表となった中村敦夫は黒岩秩子と共に院内会派「さきがけ環境会議」結成
2002年、「みどりの会議」に改称。三木武夫・三木睦子夫妻の長女で無所属の参院議員だった高橋紀世子と中村が所属。2004年の解散後は「みどりのテーブル」に活動を引き継ぐ。
2007年、みどりのテーブルが中心となって参院東京選挙区に「無所属共同候補」として川田龍平を擁立し、当選する。また、司法書士の黒田恒一が環境社会主義党を結成して参院選に出馬することを表明したが、直前で出馬を辞退した。
2008年、川田龍平は、みどりのテーブルから離脱した(その後、2009年にみんなの党に入党)。みどりのテーブル・虹と緑が合流してみどりの未来を結成し、「みどり」系の地域政党・地域政治団体との連携を進めながら、地方政治および国政において「みどりの政治」の実現を目指すことを表明した。
2009年5月、元自民党員長友清冨がNPO「森と海の恋人」を母体に日本森海党を結成。各種選挙に出馬している。
2012年2月には前述のみどりの未来が「緑の党」を結成することを発表する一方で、思想家中沢新一・宮台真司らが「グリーンアクティブ」を立ち上げた[1]。グリーンアクティブの政治部門は「日本独自のエコロジー政党」である「緑の日本」を名乗り、マエキタミヤコらが所属する。
2012年7月28日、みどりの未来を母体とした「緑の党」の結成総会が開かれた。2013年参議院選挙の比例区、次期衆議院選挙の比例東京ブロックに候補者を擁立する方針を発表した。
また同年7月18日に参院会派としてみどりの風が結成され、12月28日に政党化したが、これは本稿の緑の党とは関係ない。ただし谷岡郁子代表は緑の党との連携も示唆している。
なお、日本で「緑の党」を名乗る団体は他にも存在するが、これは軍人出身の三橋辰雄が設立した党派であり、「日本ボランティア会」などと称する街頭募金などで問題を起こしている。本項の「緑の党」と理念的にも組織的にもまったく関係ない。創設者(三橋辰雄)の姓から、「三橋派」として区別される。
日本における勢力の最大の問題点は、脱物質主義を掲げる政党が皆無という点である。事実これは太田竜が最晩年岡潔に傾倒したことからも伺えるように、むしろ保守・右派・生命的視点からのアプローチがまだまだ弱く研究の余地があることからも明らかである[2]。
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ですから、らでぃっしゅぼーやの藤田和芳氏がこの記事に登場するのは必然なのです。
反・脱・卒原発で右と左は融合する
http://h09.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-664c.html
この中の<大麻で光永勇氏につながった杉岡活日土氏が賛同よびかけ人に名を連ねている「脱原発の大合流」>の一人です。
そしてこの2人。
野村秋介
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E7%A7%8B%E4%BB%8B
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野村 秋介(のむら しゅうすけ、1935年2月14日 - 1993年10月20日)は、日本の右翼活動家・運動家。戦後新右翼の代表的な論客として知られた。
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宮台真司
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%8F%B0%E7%9C%9F%E5%8F%B8
旧未来の党2012衆院選トンデモ候補者名鑑②池田剛久(東京3区)
http://h09.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/2013-741e.html
「一水会を鼓舞する会」代表発起人。
ここでも右と左は融合するのです。
(ちょっと一息)
もう一つのMOAはこちらです。
http://www.inter.moanet.co.jp/
運営は株式会社エム・オー・エー商事。
http://www.inter.moanet.co.jp/gaiyou
この会社は世界救世教というカルト宗教が運営する会社です。
世界救世教
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%95%91%E4%B8%96%E6%95%99
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世界救世教(せかいきゅうせいきょう)とは、大本の幹部だった岡田茂吉が1935年(昭和10年)に立教した新宗教系の教団。現在の教主は四代目の岡田陽一。
神奈川県箱根町強羅に箱根神仙郷[1]、静岡県熱海市に熱海瑞雲郷[2]、京都府嵯峨野(広沢池隣接地)に京都平安郷[3]と、国内3ヶ所に教団の聖地と定めた神殿および庭園を有している[4]。箱根の聖地・箱根神仙郷には箱根美術館、熱海の聖地・熱海瑞雲郷にはMOA美術館があり、教団所蔵の美術品を展示している。
世界救世教の特徴的な宗教活動は、浄霊という手かざしの儀式的行為を各信者が行うこと、自然農法という農法を推進すること、芸術活動を行うことである。
現在の世界救世教は3派体制で運営されている。世界救世教いづのめ教団、東方之光、主之光教団である。
世界救世教の公称信者数は、2009年(平成21年)9月時点で、国内に103万1506人の信者がいる(職員数4346人、施設数706個所)。海外では99ヶ国で200万人の信者がいる。うち、タイには約70万人[5]、ブラジルには約44万人[6]の信者がいるとしている。タイ、ブラジルには、国内と同様、聖地と定めた神殿および庭園が建設されている。
浄霊
浄霊とは、同教団で行われる儀式的行為のこと。 病人の患部、あるいは各病気ごとに有効とする「急所」と呼ばれる個所に手をかざす事によって、その病状を癒すというものである。いわゆる手かざしである。 現在は代替医療のエネルギー療法に分類されている。
世界救世教では、「おひかり」と呼ばれるペンダント状のものを首にかけることにより、信者なら誰でも行うことが可能な術としている。
岡田茂吉は、病気の原因は薬による二次被害であるとする思想(薬毒)を説き、西洋医療の投薬や手術、東洋医学の漢方にかわる治療として浄霊を推進していた。茂吉は、浄霊の研究を望み、医師を呼んでの懇談会や出版物を出すなど意欲的だったが、医学会には認められなかった。このため、信者には医学との対立的な姿勢を見せる者もあり、その結果発生したトラブルが新聞に掲載されるようなこともあった。茂吉の死去後、世界救世教は、その方針を教祖存命時よりも、より医学との共存的な姿勢を取る方向に向け、教団自ら医療施設を教団内に設けるなども行った。
また、岡田茂吉が説いた浄霊は病気治療法としての技術であり、施術者は病気治療の急所などの知識が必要であったが、茂吉の死去後、二代教主らにより世界救世教の浄霊は宗教的儀式(祈り)の面が強調され、施術者は病気の急所などの知識は必ずしも必要ではないとされた。
現在の世界救世教では、病気治療的面を強調する会派(東方之光)と、病気治療的面を強調せず宗教儀式的なものとして行う会派(世界救世教いづのめ教団、世界救世教主之光教団)が並立している。また団体の所属とは別に、信者ひとりひとりの浄霊に対する個人的指向として、病気治療的指向と宗教儀式的指向を持つ者が並立する状態である。
自然農法
岡田茂吉は、日本で無農薬有機農法が注目されるはるか以前である昭和20年代より、自然農法という名称で、独自の無農薬有機農法を研究、実践、推進してきた。岡田茂吉の死去後、世界救世教では、琉球大学教授比嘉照夫が提唱するEMを使用した環境浄化の推進を活動に積極的に取り入れ、これが自然農法を支援する技術としても採用された。このため現在では、EMによる有機栽培が、世界救世教の自然農法そのものであるかのように見られている面があるが、歴史的事実はそのとおりではない。
現在の世界救世教では、自然農法にEM技術を使用する会派(世界救世教いづのめ教団、世界救世教主之光教団)と、使用しない会派(東方之光)が並立している。
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(続く)
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