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2013年10月15日 (火)

こんなところからあんなことへつながる③

■星一からつながるユダヤ阿片人脈

 

Untitled

星一(ほし はじめ)
(明治6).12.25~1951(昭和26).1.19

http://homepage2.nifty.com/tanizoko/hosi_hajime.html

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福島県生まれの実業家。星製薬株式会社社長。

若くして、アメリカに渡り、苦学しながらコロンビア大学を卒業。

帰国後、星製薬株式会社をおこし、モルヒネやコカインといったアルカロイドの国産化を行う。

若い時分に師事した、杉山茂丸の紹介で、後藤新平伊藤博文らの知遇を得る。

会社は当初順調に発展するが、後藤新平の政敵、加藤高明が政権に付くと後藤の資金源と見なされ、

官憲による妨害工作を受け、事実上破産するに至る。

政権交代後、台湾にてマラリアの特効薬キニーネの原料であるキナの樹の植林事業に情熱を

燃やすが、敗戦により台湾の領有権は失われ、挫折。

なおも、新しい事業を興そうとしてアメリカに渡り、そこで客死。

アメリカ時代に知り合った野口英世は親友。有名な野口の帰国の費用は、すべて星が持っている。

ショートショートで有名な、作家の星新一氏は彼の長男。

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星一(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E4%B8%80

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星 一(ほし・はじめ、1873年(明治6年)12月25日 - 1951年(昭和26年)1月19日)は、福島県いわき市出身の実業家兼政治家。略称、ホシピン。SF作家星新一の父。写真植字機を開発した石井茂吉と森澤信夫が出会うきっかけとなった、日本最大の製薬会社「星製薬」を一代で築き上げた設立者であり、星薬科大学の創立者でもある。

それまでは輸入に頼っていた、外科手術に不可欠なモルヒネの国産化に成功する等、「東洋の製薬王」と呼ばれた。星製薬はチェーンストアという販売方式を日本で初めて確立した。野口英世やフリッツ・ハーバーのパトロンとしても知られる。なお、彼が発案した『三十年後』はSF小説であるため、それが長男の親一(新一)と関連付けて語られることがある。

略歴

子供の頃、いたずらで放たれた矢が右目に突き刺さり失明。それ以後は義眼を入れていた[1]。
1894年(明治27年):東京商業学校を卒業。高橋健三らの知遇を得る。10月、横浜からアメリカサンフランシスコへ渡る。
1896年(明治29年):コロンビア大学に入学。
1901年(明治34年):コロンビア大学を卒業。修士号取得。
1906年(明治39年):湿布薬「イヒチオール」の事業化に成功。
1908年(明治41年):第10回衆議院議員総選挙に福島県郡部区から立候補し、当選。無所属で独自の活動を行う。
1911年(明治44年):星製薬を設立。五反田に当時としては画期的な近代的製薬工場を建設。ホシ胃腸薬のヒットや日本で初めてキニーネの製造をするなど発展し東洋一の製薬会社と言われるほどになる。
1918年(大正7年):SF小説『三十年後』発表(アイディアは星、文章化は江見水蔭)[2]。
1922年(大正11年):星製薬商業学校を設立。
1924年(大正12年):戦友共済生命保険を買収し、社長に就任。
1924年(大正13年):フリッツ・ハーバーを日本へ招待する。以後、生涯に渡って物心両面で彼を援助する。
1925年(大正14年):阿片令違反で起訴される(その後無罪判決)。解剖学者小金井良精の次女、せい と結婚。
1926年(大正15年):長男・親一が誕生(後の星新一)。
1930年(昭和5年):破産申し立てを受け、翌年に宣告を受ける(後に取り消しが認められ、強制和議になる)。
1937年(昭和12年):第20回衆議院議員総選挙で2回目の衆議院議員当選
1945年(昭和20年):星製薬は空襲で主力工場を破壊され、敗戦で海外拠点を失うが、再建に努める。
1946年(昭和21年):第22回衆議院議員総選挙に3回目の衆議院議員当選
1947年(昭和22年):第1回参議院議員通常選挙全国区に民主党から最多得票で当選
1951年(昭和26年):ロサンゼルスにて死去。星製薬は息子の親一が継いだが既に経営は傾いており、親一は会社を手放して、後にSF作家星新一となる。

事業のその後

星一が設立した星製薬はその死の前後から急激に経営が悪化し、大谷米太郎のもとで再建が行われた。その後「株式会社テーオーシー」(略称TOC)と改称し、販売部門を分離独立して新たな子会社として「星製薬株式会社」が設立された。2003年、TOCの製薬部門とその販売部門である上記「星製薬株式会社」が統合され、製造ラインを持つ新・新「星製薬株式会社」が誕生した。ただし、収益の大半は不動産事業によるものであり、製薬事業部門の寄与度は小さい。

一方、会社創立時に社内に設置した教育部は「星薬業講習会」へと発展し、「星製薬商業学校」→「星薬学専門学校」を経て、現在の星薬科大学の母体となった。戦友共済生命保険は金融恐慌の際に経営が悪化し、第一徴兵保険に保険契約を包括移転した。

関連項目

二反長音蔵 - 星一と組んで植民地での阿片生産に関与した「日本の阿片王」。
斎藤寅次郎 - 喜劇映画監督。映画界に入る前に、星製薬に入社して、マキノ映画が製作した「星製薬のPR映画」の映写技師として、全国を巡業していた。
フリッツ・ハーバー - 星一の招きで来日。軍関係者に化学兵器の製法等を講義したとも伝えられる。

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阿片王二反長音蔵と製薬王星一
(世界戦略情報「みち」平成24年(2672)10月15日第369号)

http://michi01.com/ohudohsama/369jyt26721015.html

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▼貿易不均衡を印度阿片で賄おうとする英国に抗し清が阿片輸入禁止策を採った結果、一八四〇年から二年に及ぶ阿片戦争が勃発する。この戦争の経緯を考証した幕府は安政五年(一八五八)の日米及び日英修好通商条約中に厳しい阿片禁輸条約を組み込む。維新後の新政府も阿片には敏感で早くも明治元年には阿片厳禁の令達が出され、明治一一年と一三年には一段と厳しい法改正を施行し特別認可が下りた薬学医学関係者だけに阿片製造が許された。然し奇妙な話だが明治七、八年の二回、政府は芥子栽培の全国実態調査を実施、栽培法、精製法だけでなく阿片見本の提出まで行なわせている。一部で暗黙の了解の下に無届で栽培精製が行なわれていたことが透けて見える。
 芥子は足利義満の時代に印度から運ばれ津軽で栽培されていた。このため隠語では芥子を津軽と呼ぶが、これが戦国期に摂津に伝わり山間で白い花を咲かせていた。芥子は初夏に満開となるが一面の芥子畑は見事な雪景色の趣。明治八年に摂津国三島郡に生まれた川端音次郎の少年期の記憶にこの雪景色があった。日清戦争勝利により台湾が割譲され、台湾阿片の今後は日本産のみを扱うべきだとの主張が高まる。その記事を読んだ二一歳の青年川端音次郎は行動に出た。国内での芥子栽培許可を得るべく内閣府宛の建白書を認め、東海道を乗り継ぎ単身上京、苦労の末衛生局長後藤新平に直接手渡すことに成功する。生まれ落ちた以上世のため国のために全力を尽くす。川端音次郎の熱意は、台湾阿片患者漸減政策と専売局による阿片一元管理を提唱していた後藤新平の心中に共振現象を引き起こし、一気に摂津三島郡での芥子栽培に認可が下りる。

▼貧農川端家の四男坊音次郎は馬車馬の如く働き続けたが、なぜか隣家の箱入り娘を夢中にさせる。豪農二反長(にたんちよう)家は三代続いて女子しか生まれず婿養子が家督を嗣いだが、当代の娘は近隣に鳴り響く色白美人。大金持ちか名家の息子が養子に入るとの近隣の予想を裏切り、当の箱入り娘本人が垣根一つ隔てた不細工な貧農の四男でなければ厭だと駄々をこね祝言を挙げてしまう。すでに三島郡福井村で芥子試験栽培を五年も繰り返し、台湾への阿片供給を開始していた明治三四年に川端音次郎は二反長家に婿養子に入り、名も音蔵に改めることになった
 その三年後、着物姿の村人男女が行き交う福井村の芥子畑に場違いな背広姿の紳士が現れた。この男こそ、後に製薬王と呼ばれ波瀾万丈の人生を駆け抜けた星一である。

▼福島県磐城郡生まれの星一は(ほしはじめ)渡米を目指し明治二三年に東京商業高校夜間部に入学、同じ志を持つ安田作也と親密になり二人で渡米する。安田は当時「政界の黒幕」と呼ばれた杉山茂丸の甥で、その縁により星一は杉山茂丸の知遇を得る。もっとも、星一の父は村長や県議を務めた人物で、杉山茂丸とは旧知の間柄であり安田の介在がなくても二人は繋がったと思われる。余談になるが杉山茂丸の長男が怪奇幻想作家で知られる夢野久作である。
 明治三四年といえば日英同盟締結の前年であり、音次郎が二反長家に婿養子に入った年だが、この年、職を転々と変え苦学の末にコロンビア大に入学した星はニューヨークで杉山茂丸と再会を果たし元老伊藤博文を紹介される。伊藤、杉山の訪米は日露戦争に向けた水面下交渉が目的だったと推測できるが、この出会いで伊藤博文は星一を高く評価し、明治三八年に初代総監として韓国に赴く際に星を同行させている。伊藤の狙いは星を韓国総督府官吏にすることだったが、すでに阿片事業に手を染めていた星は伊藤の熱心な誘いを断り、三ヶ月で韓国から日本に戻ってしまった。

▼これより前、明治三五年に資金調達のために米国から一時帰国した星一は伊藤博文に後藤新平を紹介され、台湾阿片漸減政策と専売制を教わり、二反長音蔵に引き合わされる。後藤新平、星一の当初の目論見は台湾に流入する違法阿片の摘発後の処理にあった。粗悪品も多かったが押収した密輸阿片からモルヒネを抽出する事業は旨味に溢れていた。更に星はその後、三井物産を抑えて台湾への日本産生阿片納入の権利を手に入れ、風雲児の異名を戴くほどになる。明治四四年に製薬所を星製薬株式会社に発展させた星一は大正に入るとモルヒネ国産化に成功。革命動乱の支那では英国製を抑え星印モルヒネが飛ぶように売れ、星製薬は米国に支店を南米ペルーにコカ栽培を目的とする広大な薬草園を購入し、星一は世界を目指す製薬王と称される。しかし人生山を越えれば谷に差し掛かる。
 大正一三年に後藤新平と対立する憲政会加藤高明との政争が勃発。後藤の資金源と見做された星一は競合の製薬会社武田、田辺からの追撃も受け台湾阿片令違反で起訴される。二年の法廷闘争の後、星は無罪となるがこの間に星製薬は業績悪化、資金難に陥り星一は昭和七年破産、税金滞納で刑務所に収監される。復帰した星を再度輝かしたのは朝鮮・満洲・蒙古での二反長音蔵の芥子栽培だった。 (黄不動)★

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阿片王二反長音蔵と台湾阿片 
http://michi01.com/ohudohsama/368jyt26721001.html

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▼日本書紀欽明元年に「秦人(はたひと)漢人(あやひと)等諸蕃より投化せる者を招集して国群に安置し戸籍に編貫す」と既に六世紀に戸籍の記述がある。大化二年(六四六)には全階層に戸籍が付与され氏姓を持たぬ者は天皇皇族と奴婢のみとなる。姓と苗字は別物で、本来の形は姓、苗字、名と続く。源朝臣徳川次郎三郎家康の場合、源が姓で徳川が苗字、次郎三郎は通称、家康が本名(諱)(いみな)である。中世近世を通して日本人の九割前後は姓を持ち苗字を持つ庶民もいた。
 明治維新直後には国民須らく姓を録せと通達が出されたが九割近くが源平藤橘となり、戸籍の意義希薄と早々に廃止され、明治四年の「姓尸(せいし)不称令」発布により姓を名乗ることが禁止される。明治八年「平民苗字必称義務令」で全国民が苗字を持つこととなった。今日では本来の姓は消え苗字を以て姓としている。
 公卿貴族武家のように旧くから苗字のある者は兎も角、庶民は自由に苗字を付けられるというので地主から授かる者もいれば地名や住居を名乗る者、あるいは所有地の広さを誇らしげに苗字にする者もいた。反畑とは一反即ち一〇畝(三〇〇坪)の畑を所有するとの苗字であり、知人で広島の二反田、栃木の三反田は共に豪農だったようだ。変わったところで二反長(にたんちよう)という苗字がある。二反よりは広いが三反迄は届かない。恐らくそのような事情で斯様な苗字となったと推測される。

▼摂津国三島郡福井村(現茨木市福井)に二反長(にたんちよう)音蔵(おとぞう)という男がいた。明治四四年『福井村沿革誌』の記録によると「二反長音蔵、川端七郎氏ノ四男ニシテ二反長家ヲ嗣ギ農ニ心ヲ注ギ本郡耕地ノ冬作ハケシ栽培阿片製造ノ有利ナルヲ確知シ、臺湾総督府ニ阿片買上ヲ願シ、明治三八年総督府ヨリケシ栽培試作センコトヲ命ジラレル」。二反長音蔵は芥子(けし)栽培を行ない、後に全国の新聞各紙は阿片王と称した。
 阿片王といえば里見甫が有名で、従軍記者だった里見は昭和六年の満洲事変以降は奉天特務機関で甘粕正彦と共に諜報活動に従事し、支那の秘密結社青幇(チンパン)や紅幇(ホンパン)と関係を構築。陸軍特務機関の影佐(かげさ)禎昭(さだあき)中佐(最終階級は中将)に命じられて上海に里見機関を設立。阿片を売り捌いて日本の戦費を賄ったとされる。里見は大戦中に大陸で岸信介、佐藤栄作、笹川良一、児玉誉士夫らと濃密な関係を構築していた。
 里見甫は阿片売買の王だったが二反長音蔵は阿片生産の王だった。「農ニ心ヲ注ギ」と記された通り正に実直な農民そのものの姿勢で芥子栽培に心血を注いだ。音蔵は若い頃には行商で稼いだ金で教材等を買い集めて小学校に寄付するなど、生まれた以上は世のため国のために全力を尽くすことを信条としており、芥子栽培阿片精製はその延長にあった。

▼日清戦争講和条約は明治二八年四月に下関で締結された。清の全権公使李鴻章に対し伊藤博文が台湾割譲を迫ったところ李は日本の愚鈍さを鼻で嗤ったという。台湾を入手しても阿片患者に手を焼き結局は放り出すに決まっているというのだ。実際明治三〇年の帝国議会では台湾を仏国に売り飛ばす提案が出されている。台湾の阿片患者は膨大で一九世紀末の台湾巡撫(地方官)徐宗幹は『治台必告録』の中で「台湾にては貴賎貧農良秀男女の殆どが喫煙、その数少なく見ても四、五〇万は突破している」と記している。
 台湾割譲を受け明治二八年五月に初代総督樺島資紀が乗り込もうとする時「断辮髪禁阿片解纏足夜不可閉門」(辮髪を切れ、阿片は禁止、纏足禁止、夜に門を閉めるな)という統治政策の噂が流された。実際は斯様な法令が出された事実はないが確かに当初の日本は台湾に対し強硬政策を実施した。阿片中毒患者から阿片を取り上げると、嘔吐下痢精神錯乱の末に悶絶悶転し干からび息絶え、骨と皮だけの死体と化す。どうせ死ぬならと清国敗残将や匪賊と共に決死の蜂起を敢行した島民に総督府は応戦一方だった。
 明治三一年、児玉源太郎が第四代総督となり後藤新平を民政長官に任命したところで内地法を超越した特別統治法が採られ、阿片漸減政策が実行に移される。中毒患者には阿片を与えるが新たな患者は作らない。台湾の阿片は全てが劣悪な輸入品だったが一切を内地製に切り替え専売制を実施した。

▼台湾の阿片は戎克(ジヤンク)船により大陸やジャワ島等から密輸されていた。阿片純度五〇%なら良質のほうで八割九割が小麦粉といった劣悪品も多く、輸入量も密輸のため不明、台湾から流出する銀の量も不明という出鱈目さだった。これを全て内地産に切り替えるのだ。寝る間も惜しみ食事は立った儘握り飯を喰らう音蔵の芥子栽培は明治三一年から一気に本格化する。音蔵の地元三島郡産の芥子も当初は品質が安定せずモルヒネ含有量が〇~二五%までと不安定だったが、改良を重ね終に一〇~一一%に安定する芥子育成に成功する。因みに現在日本で試験栽培されている芥子は全て音蔵が作った三島種である。また現在国際法が認める阿片輸出可能国は印度・中国・北朝鮮そして日本の僅か四ヶ国しかない。(黄不動)★

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アメリカ留学や杉山茂丸、後藤新平、伊藤博文といった人脈もユダヤへつながりますが、そんな七面倒くさいつながりよりも強烈なのが阿片王・二反長音蔵(にたんちょうおとぞう)との関係です。紹介した記事の中にもある通り、阿片王といえば里見甫が有名ですが、里見甫は阿片の売買王だったのに対し、二反長音蔵は阿片の生産王でした。

 

里見甫についてはリチャード氏も記事にしています。

里見甫
http://cgi.search.biglobe.ne.jp/cgi-bin/search?c=%8C%9F%8D%F5&clid=1&q=%97%A2%8C%A9%95%E1&btn=%8C%9F%8D%F5&sitesearch=richardkoshimizu.at.webry.info

 

阿片といえばユダヤ。リチャードコシミズ独立党ではあたり前の常識です。

また星一の招きで来日し、軍関係者に化学兵器の製法等を講義したとも伝えられるフリッツ・ハーバーはユダヤ人です。

180pxfritz_haber

フリッツ・ハーバー
Fritz Haber

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC

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フリッツ・ハーバー(Fritz Haber, 1868年12月9日 - 1934年1月29日)は、ドイツ(現在のポーランド・ヴロツワフ)出身の物理化学者、電気化学者。ユダヤ人であるが、洗礼を受けユダヤ教から改宗したプロテスタントである。空気中の窒素からアンモニアを合成するハーバー・ボッシュ法で知られる。第一次世界大戦時に塩素を始めとする各種毒ガス使用の指導的立場にあったことから「化学兵器の父」と呼ばれることもある。

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(続く)

 

 

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