小林節氏を「まとも」とか「かっこいい」とか、私は口が裂けても言えません
●憲法学者 安倍政権を痛烈批判
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201506/article_115.html
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小林先生、長谷部先生、かっこいいです。
早慶一人ずつの憲法学者というのがいいですね。
「憲法を無視した政治を行おうとする以上、独裁の始まりだ」
まさにその通りです。「憲法を改正してから戦争」では間に合わないから、改正しないで戦争をやろうとしている。
この際、そこまで言っちゃってください。
安倍とかいう卑しい年食った不良を、もっと、罵倒してやってください。
それと、裏社会が妨害してくるのは必定ですので、RK保険にお入りください。保険料は無料です。
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3参考人全員が「違憲」表明 衆院憲法審、安保法案で
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201506/article_37.html
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憲法審査会:早慶の憲法学者3人の参考人全員が、「ユダ金のための日中戦争法案=安保法案」を憲法違反と表明。
まともな学者に見解を聞くから、こういうことになります。
次回は、朝鮮出自の似非右翼で麻薬中毒者とか、脳梅毒で禁治産者とか、創価学会の済州島出身の副会長とか、性犯罪累犯者とかに見解を聞いてください。きっと合憲だと言ってくれると思いますよ。キチガイだから。w
ま、困った時には、適当に「閣議決定」で憲法違反じゃないってことにしちゃってください、名門成蹊大学卒の安倍統一教会晋三さん。w
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Wikiすら検索しない「ネットジャーナリスト」なのか、あるいは金と女で寝返ったヘタレなのか。
ま、両方ですね。
小林節(Wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%AF%80
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経歴[編集]
Question book-4.svg この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2013年7月)
1949年3月27日、東京都新宿区生まれ。教師の家庭に生まれ育つ。父は新宿区の小学校の教員で、日教組の創設に参画。また、東京都教組の書記次長を長年つとめた活動家だった。
新宿区立淀橋第七小学校から新宿区立淀橋中学校を経て、東京都立新宿高等学校に入学。同校では学年430人中400番以下の成績で[2]、高校2年の時、授業をサボタージュして歌舞伎町を徘徊し、成人映画を観るために映画館に入ったところを婦人警官に補導されたこともある[3]。1年間の浪人生活を経て、1968年、慶應義塾大学法学部法律学科に入学。大学時代は当時隆盛を極めていた学生運動に背を向け、睡眠1日2時間[4]の生活を4年間貫いて伊東乾のもとで猛勉強を重ね、金時計(首席)で卒業。1974年から慶應義塾大学に勤務し、1989年法学部教授に就任。2014年3月末で教授を退職[5]し、同年4月から慶應義塾大学名誉教授。
思想・立場[編集]
改憲論者として、サンデープロジェクト、朝まで生テレビなど多数のテレビ番組に出演している。但し、イラク派兵の際の成り行きを見て「こんなインチキな手段で改正されてはいけない」との思いを強くしたのと、娘が成長するのを見て平和であることの意味を深く考えるようになったのをきっかけに、現段階での改憲には反対の立場を示すようになった[6]。
奥平康弘、樋口陽一、長谷部恭男ら著名な憲法学者をはじめ、人文学関係から理系まで多数の学者の呼びかけによって発足した「立憲デモクラシーの会」に、呼びかけ人の一人として名を連ねている[7]。立憲デモクラシーの会は、立憲主義の危機を訴え、立憲主義を守るために行動することを謳う学者団体であり、第2次安倍内閣及び第3次安倍内閣の集団的自衛権の行使容認等に反対を表明している。2015年6月4日、立憲主義や現行憲法(日本国憲法)制定の経緯などを議題として開かれた衆議院憲法審査会に長谷部恭男、笹田栄司とともに参考人の憲法学者として出席した際にも、2015年の通常国会で審議されている安全保障法案(平和安全法制)の、特に集団的自衛権行使の点について、長谷部・笹田両氏とともに「違憲」と表明した[8][9]。
2008年11月、民間懸賞において「日本は侵略国家ではなかった」と論じた田母神俊雄(元・航空幕僚長)の論文に対して、「あまりにも稚拙な内容であり、(田母神俊雄は)発表の場にも細心の注意を払いつつ、学問的に語るべきである」といった主旨のコメントをしている[10]。
宗教団体の政治参加を一部容認しており、学会員ではないが創価学会や公明党の機関誌への寄稿も50回以上にのぼる[11](池田大作から感謝の手紙が贈られた縁で、池田に天ぷらをご馳走してもらったことがある。小林によれば池田は「博識でチャーミングなおじさん」だったとのことである)。池田のことを、思いを込めて「池田大作博士」[12]と呼び、「男らしい」[13]「大好きだ」[13]と絶賛している。また、幸福実現党のマニフェストにも期待を寄せている[14]。
いわゆる外国人参政権に関しては、認めない立場をとっている[15]。ただし、外国人参政権に道を開く憲法改正案を出した、東浩紀らとの話し合いにおいては、基本的には外国人参政権は認め難いとしつつも、東らの改憲案に肯定的な評価をしていることを述べた上で、一定の条件下においては外国人参政権も認められるとの見解を述べるに至っている[16]。
戦後の日本人拉致事件は北朝鮮による国家犯罪であり、明白に反日教育を行っている朝鮮学校に対してまで、「わが国の高校授業料無償化を適用するのは違法性がある」と反対している[17]。
人物[編集]
司法試験合格者ではないが、法学博士課程が設置された大学院を有する大学の法学部法律学科の教授を5年以上務めた事で、弁護士法第5条により1998年に弁護士登録[18]。
大学における講義中の学生の私語・携帯電話の使用・居眠りを禁止しており、学生を教室から追い出すこともある[19]。
政界にも人脈があり、特に自民党関係者と親密である[20]。自身の講義に現職の国会議員(平沢勝栄[21]、福島瑞穂、中山太郎等)をゲストとして招くこともある[要出典]。
生まれつき左手の指がなく、義手のため手袋を常用している(この障害の原因は、薬物の副作用と推定されている[22])。この障害のため、幼い頃からいじめを受けて育った他、成人後、母方の祖母から面と向かって「あなたのような片輪の孫が生まれて、うちの家はひどい迷惑を蒙った」[23]と言われたこともある。また、喘息の持病があり、大学では水を飲みながら講義を行う[要出典]。
職歴[編集]
1974 - 1979年 慶應義塾大学法学部助手
1979 - 1983年 慶應義塾大学法学部専任講師
1983 - 1989年 慶應義塾大学法学部助教授
1989年 - 慶應義塾大学法学部教授(憲法・英米法担当)
2014年 - 慶應義塾大学名誉教授
他に、人事院・公務員研修所(1999年 - )等各講師及びバーナビー・カレッジ学長特別顧問(1992年 - )、財団法人日本船舶振興会(日本財団)理事(1994年)、財団法人アジア刑政財団評議員(1996年 - )、読売新聞社ブレーン(1996年 - )、弁護士(1998年 - )、大阪日日新聞(2002年 - )・日本海新聞客員論説委員、日体桜華高等学校校長・現学校法人日本体育大学理事(2010年 - 2014年)、エアリンク株式会社 社外取締役(2010年3月 - )等を兼務している。
また、山梨大学(1982年 - 1983年、1987 - 1990年)、日本大学(1983年 - 1991年)、駒澤大学(1984年 - 1985年)、国税庁・税務大学校(1986年 - 1988年)、国鉄・中央鉄道学園(1986年 - 1987年)、郵政省・電気通信研修所(1987 - 1990年)、東京文化短期大学(1988年 - 1989年)、防衛大学校(1993年 - 1996年)、北京大学(1995年)、消防庁・消防大学校(1996年)で教鞭をとり、郁文館学園中学校・高等学校・郁文館国際高等学校校長を務めていた。
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